現役介護福祉士による映画レビュー
「PLAN 75」(2022年公開)
75歳以上の高齢者に安楽死が認められた日本
現役の介護職として介護施設で働いていて、高齢者からこんな言葉を聞いたことがある。
「ここの施設はキレイだけれど姥捨山ね」
2023年、日本の75歳以上の人口は2,005万人で初めて2千万人を超えた。
これは総人口の16.1%にあたる。
80歳以上の人口も10.1%となり、実に日本人の10人に1人が80歳以上の高齢者だ。
増えすぎた老人が、この国の財政を圧迫し、そのシワ寄せをすべて若者がうけている・・・
映画冒頭はショッキングなセリフとシーンから始まる。
倒れた車椅子。
猟銃を持った若者。
思わず2016年に知的障害者施設で起きた事件が頭をよぎった。
舞台は近い将来の日本。
高齢者が襲撃される事件が全国で相次ぎ、深刻な高齢化問題に対する抜本的な解決を国民が望む中、一つの法案が国会で可決される。
「プラン75」
75歳の誕生日を迎えた日本国民にはその日から安楽死を選ぶ権利が与えられる。
それを支援する制度が通称「プラン75」
まるで何かの保険かと思わせるネーミング。
公園で炊き出しを行いながら「プラン75」の出張受付を行う市役所職員。
政府が宣伝しそれをたくさんある社会保障制度の一つとして受け入れている日本国民。
架空の物語だが、どこか現実の延長として「もしかしたらあるかも知れない」そう思わせる「冷たい未来」が描かれる。
「ここの施設はキレイだけれど姥捨山ね」
2023年、日本の75歳以上の人口は2,005万人で初めて2千万人を超えた。
これは総人口の16.1%にあたる。
80歳以上の人口も10.1%となり、実に日本人の10人に1人が80歳以上の高齢者だ。
増えすぎた老人が、この国の財政を圧迫し、そのシワ寄せをすべて若者がうけている・・・
映画冒頭はショッキングなセリフとシーンから始まる。
倒れた車椅子。
猟銃を持った若者。
思わず2016年に知的障害者施設で起きた事件が頭をよぎった。
舞台は近い将来の日本。
高齢者が襲撃される事件が全国で相次ぎ、深刻な高齢化問題に対する抜本的な解決を国民が望む中、一つの法案が国会で可決される。
「プラン75」
75歳の誕生日を迎えた日本国民にはその日から安楽死を選ぶ権利が与えられる。
それを支援する制度が通称「プラン75」
まるで何かの保険かと思わせるネーミング。
公園で炊き出しを行いながら「プラン75」の出張受付を行う市役所職員。
政府が宣伝しそれをたくさんある社会保障制度の一つとして受け入れている日本国民。
架空の物語だが、どこか現実の延長として「もしかしたらあるかも知れない」そう思わせる「冷たい未来」が描かれる。
もともと「PLAN75」という作品は「十年後の日本」をテーマにしたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」(2018年)の一編として発表された短編だった。
それを短編版「PLAN75」の監督脚本を務めた早川千絵が監督として自ら長編化したものが本作品となる。
未来の「楢山節考」は社会が年寄りを捨てる
主人公で78歳の角谷ミチを演じるのは1941年生まれの倍賞千恵子(2022年で81歳)
往年の大女優が実年齢に近い役を見事に演じている。
高齢となり家族もいない主人公はいかにして「プラン75」を選ばざる得ない状況になっていくのか。
そこにあるのは孤独、孤立、疎遠、疎外。
1956年に発表された深沢七郎の小説「楢山節考」は息子が年老いた母親を山に捨てに行く物語だが、「PLAN 75」では社会が高齢者を捨てる。
「プラン75」は ”自由意志” で安楽死を選んでいるのでまったく強制ではない。
しかし映画では社会が高齢者が生きづらい構造になっており、社会構造が老人を追い詰めていくように描かれる。
社会に貢献できない、生産性の無い者は生きる価値がない、そう言われているようだ。
これが長編映画初挑戦の監督だからか、売りはそんなに多くない。
映像もセリフも演出も特出すべき物はなく、映画として「ここがスゴイ!」といいにくい映画だ。
では現実世界で実際に「75歳以上に安楽死を認める」となれば高齢者問題が解決するかというと、解決しないだろうなとは思う。
介護施設で働いていて「死にたい」「早くお迎えが来て欲しい」という高齢者は確かにいるが、実際に自ら死を選ぶかといえばそれとこれとはまったく別問題だ。
完璧な社会など存在しない。
今後日本の高齢化はますます進んでいく。
「楢山節考」は貧しさゆえ老母を山に捨てざる得ない物語だが、その後日本は豊かになり「口減らし」しなくてもいい社会になっていった。
十年後の日本は果たしてどんな社会になっているのだろうか。
「PLAN75」
考えさせられる映画だ。
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往年の大女優が実年齢に近い役を見事に演じている。
高齢となり家族もいない主人公はいかにして「プラン75」を選ばざる得ない状況になっていくのか。
そこにあるのは孤独、孤立、疎遠、疎外。
1956年に発表された深沢七郎の小説「楢山節考」は息子が年老いた母親を山に捨てに行く物語だが、「PLAN 75」では社会が高齢者を捨てる。
「プラン75」は ”自由意志” で安楽死を選んでいるのでまったく強制ではない。
しかし映画では社会が高齢者が生きづらい構造になっており、社会構造が老人を追い詰めていくように描かれる。
社会に貢献できない、生産性の無い者は生きる価値がない、そう言われているようだ。
これが長編映画初挑戦の監督だからか、売りはそんなに多くない。
映像もセリフも演出も特出すべき物はなく、映画として「ここがスゴイ!」といいにくい映画だ。
映画冒頭の高齢者施設のような建物が襲われるシーンがけっこう衝撃的なので、その後の淡々とした描写に物足りなさも感じる。
例えば、75歳を過ぎて「プラン75」を利用せずに ”ずうずうしく生きている” 高齢者に風当たりが強い世間の風潮、同調圧力みたいな物が演出としてあると、もっとインパクトはあったかも知れない。
そこは個人の好みの問題だろう。
そこは個人の好みの問題だろう。
映画として物足りなさはあるが、やはり「プラン 75」という設定のインパクトは強い。
では現実世界で実際に「75歳以上に安楽死を認める」となれば高齢者問題が解決するかというと、解決しないだろうなとは思う。
介護施設で働いていて「死にたい」「早くお迎えが来て欲しい」という高齢者は確かにいるが、実際に自ら死を選ぶかといえばそれとこれとはまったく別問題だ。
完璧な社会など存在しない。
今後日本の高齢化はますます進んでいく。
「楢山節考」は貧しさゆえ老母を山に捨てざる得ない物語だが、その後日本は豊かになり「口減らし」しなくてもいい社会になっていった。
十年後の日本は果たしてどんな社会になっているのだろうか。
「PLAN75」
考えさせられる映画だ。
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