ミカタのシンプルスタイル

オシャレでも素敵でも無いけれど、何とか生きている50代男性の暮らし。

ーシンプルライフ本

中国春秋戦国時代に生きた思想家「荘子」

「荘子」内篇


荘子 第一冊 内篇 (岩波文庫 青 206-1)
荘子
岩波書店
1971-10T



人間は欲深い。
自分の正義を他人に押し付けようとする。
この世界には善と悪が存在すると思い込んでいる。
善も悪も人間の頭の中にしかない。

無為自然

自然とは「自(おのずから)然(しかり)」を意味する。あるがままの姿を受け入れ、「無為」つまり、なんら作為をしない生き方を説くのが、この「荘子」という本だ。

【著者である荘子】

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(画像はイメージ)

500年続いた中国の春秋戦国時代。その時代に生きた道教の始祖の一人と後世呼ばれることになるのが作者の荘子だ。史記には「魏の恵王、斉の宣王と同時代の人である」と記録されている。

中国を統一する始皇帝が生まれるのは、荘子が死んで何十年も経ってからだ。

道教のもう一人の始祖に老子がいて、「老荘思想」などとも呼ばれるが、荘子が俗世間から離れて人間の作った価値観から自由になる道を説いたのに対して、老子は政治色が強い。

自分は荘子の方が好きである。突拍子もないたとえ話で自説を説くのだが、その発想力が面白い。


【荘子から生まれた言葉】

「胡蝶の夢」「蟷螂の斧」「朝三暮四」

「荘子」は読んだことがなくとも、これらの言葉は聞いたことがあるだろう。

「荘周(荘子のこと)が夢の中で蝶になり、蝶として大いに楽しんだ所で夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、それとも蝶が荘周になる夢を見ているのか」(胡蝶の夢)

善があるから悪があると考えてしまう。美があるから醜という概念が生まれる。人間の美醜など、動物や魚は考えない。荘周という存在があると考えているから、蝶とは違う存在として考えてしまう。人の認識は相対的概念で成り立っており、それを超越した無の境地に立てば、対立と差別は消滅し、すべてのものは同じになる。これを「万物斉同」(ばんぶつせいどう)という。


【万物斉同という考え方】

人間の生死は天地自然の巡り合わせによるものであるから、死も哀しむべきではない。荘子は妻の死を従容として受け入れ、瓶を叩いて歌を歌った(鼓盆而歌)

そのため後の世で「荘子は死を楽しみ、生を厭う死の哲学を説く者だ」という理解もなされていたが、「荘子」の注釈を書いた晋の郭象(かくしょう)はこう書き記している。

「もし荘子が死を楽しみ、生を厭うのであれば、それは万物斉同の思想に反する。生死を斉(ひと)しくするというからには、生にあっては生に安んじ、死にあっては死を安んずるのでなければならない。これが荘子の本意である」

「生にあっては生に安んじ、死にあっては死に安んずる」

これが50歳の今の自分の気持ちに近い。
無理に生きたいとも思わないが、無理に死にたいとも思わない。
食べられるうちは食べる。食べられなくなったらそれまでということである。

人間が自分たちの力で何かを作為的に行うとき、そこには不自然な物が生まれる。
争いだったり、諍(いさか)いだったり、妬(ねた)みだったり。
そこから離れるべきだと荘子は説く。


【荘子の中の生き方】

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「坐忘」という言葉がある。儒教の始祖である孔子と、その弟子の顔回による「坐忘問答」が「荘子」の中で描かれている。

顔回はいう「坐忘とは五体から力を抜き去り、いっさいの感覚をなくし、身も心もうつろになりきって、「道」のはたらきを受けいれることです」と。

これは修行によって身につけるものではない。ある意味「境地」である。

力を抜いて、自然に身をまかせ、自分の頭の中にしかないことで悩まない。
我々にとっては物欲だけでなく、精神的にも余計な物を捨てること。まだ起きてもいないことで一喜一憂しないこと。勝手に期待して勝手に失望しないこと。まさにシンプルライフに通じる考え方のような気がする。

荘子はその見識を買われ、国の中枢で働かないかともちかけられるが、自由を縛られることを嫌い、きらびやかな生活よりも、ドブの中で遊ぶ方がナンボかマシ、とその誘いを断る。

まあとにかく、千里をこえる魚が出てきたり、その魚が鳥になったり、神木の霊が夢で語りかけてきたりと、二千年も前に書かれたのに、今読んでも読み物としてとても面白い。

固まってしまった価値観をゆさぶってくれる一冊だ。



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「海からの贈り物」 アン・リンドバーグ 著


「女はいつも自分をこぼしている。そして、子供、男、また社会を養うために与え続けるのが女の役目であるならば、女はどうすれば満たされるのだろうか」



海からの贈物 (新潮文庫)
アン・モロウ・リンドバーグ
新潮社
1967-07-24





ニューヨークの喧騒を離れ、カバンひとつ分の衣類と、石油コンロが一つだけの、屋根と壁だけの浜辺の家で過ごす二週間。

掃除も気にせず、蜘蛛の巣の美しさを眺め、カーテンもつけず、開け放たれた窓から松の木を眺める。

浜辺を歩き、貝殻を拾い、日々の生活でこぼれ落ちた物を満たしていく。

この本が書かれた1955年。当時も今も、女性が仕事や家庭を離れ、何の役割も持たずに一人で過ごす時間を手に入れるというのは簡単ではない。

しかし貝殻は語りかける。

女が満たされるには、一人になる時間が必要だと。



薄い文庫本だが、この本は何度も読み返している。

世界的な名著なので、解説や内容の紹介は調べればいくらでも出てくるだろう。



作者のアン・モロー・リンドバーグは1906年アメリカ生まれ。

実業家の家に生まれ、父親がメキシコ大使だった時に、当時大西洋単独横断飛行を成し遂げて脚光を浴びていた夫、チャールズ・リンドバーグと出会っている。

出会って2年後、23歳で結婚。夫の影響で彼女自身も飛行機を操縦する女性飛行士となり、1931年には北太平洋航路調査の目的で、夫婦で日本にも立ち寄った。

文才にも恵まれた彼女は、同世代の女性のある意味憧れの存在だったことだろう。

しかしそんな有名人家族を悲劇が襲う。

1932年に1歳8か月の長男が誘拐され殺されるという痛ましい事件が起こる。

そして第二次世界大戦。

アンはリンドバーグ夫人として、また5人の子供の母親としてこの荒波を乗り越え、戦後間もない1955年に、この「海からの贈り物」を書いている。


40代も後半になり、女性の役割、生き方について考え、自分の心と向き合う。

ものはたくさん無くてもいい。むしろ少ない方が落ち着いた気持ちにしてくれる。

物質的な物だけではない。精神的にも捨て去るべきものがたくさんある。

生きていく上で一番疲れることは、体面を繕うことだ。

中年というのは、野心やプライドや社会で競争するために身につけてきた甲冑を捨てる時期だ。自分を守っていた甲冑を脱ぎ、本当に自分であることが許される時期。

それはなんと大きな自由を我々に約束してくれることか。



この本はもちろん男性が読んでも多くの共感ができる。

自分はこういう考え方が好きだ。

ソローの「森の生活」もそうだが、自分の足で立つことのできる人、自分の頭で考え、自分の心で判断し、周りの目や空気に流されることなく、自分で選択のできる人の生き方が好きだ。

大人になるということは、本来、そういうことではないだろうか。

自立した人間。

誰かの価値観に寄りかかるのも、誰かが助けてくれるのを待っているだけの人生にも魅力は感じない。

それは孤独ではなく、友情も愛情も信頼も助け合いも、本来は自立した者同士の間でしか成立しないのではないかとさえ思っている。


誰かの期待にこたえている時間は、我々中年には残されていない。

自分のために時間を使う。

この本は、そんな当たり前のことに気付かせてくれる。














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「森の生活 ウォールデン」 ソロー 著

人間は生きていくのに、驚くほど少ない労働と、持ち物で事足りる。


シンプルライフのバイブルともいえる一冊。

ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「森の生活 ウォールデン」


作者のソローは、1817年生まれ。発展して行くアメリカの中にあって、お金を稼ぐために、より豊かになるために、自分の人生を鎖に縛り付けて働く当時の人々に、違う価値観を提示し続けた人である。

ハーバード大学を卒業後、生涯定職にはつかず、日々の生活を作家、思想家、詩人、博物学者として送った。


彼はマサチューセッツ州ウォールデン湖のほとりに小屋を建て、そこで1845年7月4日から2年2ヶ月2日に渡って自給自足の生活を送る。

これはその回想録である。


豊かな自然の中で土地を耕し、食べ物を育て、パンを焼き、少しの本を読み思索にふける。

彼の思想は経済、社会、労働といったものから、人間精神、哲学、過去の様々な思想、人物へと広がり、現代社会の物質主義、資本主義の価値観に大きな風穴を開けていく。

家具や衣類をため込み、土地や家畜に縛り付けられた人生。

ソローは歴史的な建造物やピラミッドさえ、王侯の奢り、俗悪なものだと批判する。

あんなものを作るために多くの人間が一生を棒に振ったことの方が驚きであると。

これは2020年に生きる我々に対してもいえることだろう。


この本の中で彼は、自然や動物たちのことに言及し、町の人々の様子を描き、カボチャ一個6セントなどといった細かい収支まで記録している。

イースト菌を使わないパンもいいだとか、カーテンは無くても平気だとか、まるで現代のブログに書かれているような内容だ。

ソローは物に囲まれた豊かさより、精神の豊かさ、心の豊かさに重きを置いている。

シンプルライフな考え方に共感できる人には、ぜひ読んで欲しい一冊だ。


ソローは生前にはあまり評価されなかったようだが、今ではアメリカノンフィクション文学の最高傑作の一つとも称されている。

170年以上昔にアメリカで出版された本が簡単に手に入るというのは、驚きでもあり、嬉しいことでもある。

この幸運をぜひ手に入れて欲しい。












ソロー『森の生活』を漫画で読む
ジョン・ポーセリノ
いそっぷ社
2018-10-17








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プロフィール

ミカタ

1970年岐阜県生まれ
特養で働く介護福祉士
団地暮らし

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「ミカタのシンプルスタイル」というブログを書いています。 元アニメーターで元ネットの古本屋で現在は介護福祉士。 50代、団地暮らし、ジムニー乗り。脳梗塞の後遺症と付き合いながら、何とか生きています。

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